潮州劇(潮劇)
《趙少卿(柳嬌媚)》
1991年8月26日、於Singapore合興街Circular  Rd.答謝神恩祭祀、田仲一成撮影



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 唐末昭宗時代、安邦王趙少卿と定国夫人結仙珠が邦国を守る任にあたっていた。二 人は都の長安に居を構え、児女は江南三呉の地にいた。その子、俊強は、父の威を傘 に着て、あらゆる悪事をはたらき、一方、娘の賽英は品行賢淑であった。このとき、 民女林素月は父をなくし、伯父叔母に趙家に売られて婢女になっいた。俊強は彼女の 容色に目をつけ、手を尽して、誘引していた。ある日、俊強は遊山に出て、柳含嬌に めぐりあって、互いに惹かれる。柳含嬌はすでに陳広才と婚約していたが、虚栄を好 み、貧困の陳広才を捨てて、権勢家の俊強に就くことを決め、俊強に中秋節を期して 自分の家に娶りに来てくれるように求める。たまたま陳広才も柳家に含嬌を娶りにき たが、含嬌は陳との婚約を取り消す。広才は恨みを呑むが、俊強は悪僕に命じて広才 を連行し、自宅の石牢に閉じ込める。俊強と含嬌の同帳の場を、賽英が見つけて責め る。俊強は素月とも、密通し、素月は六ヶ月の身重になっているが、俊強は含嬌を娶 ってから、冷たくなり、素月を追い出す。賽英はこれを聞き、兄を諌めるが効き目が 無い。賽英は婢女の紫絹とともに裏庭の花園を散策しているうち、嘆息の声を聞き、 声の主を訪ねると、陳広才であることがわかり、同情して、これを釈放する。俊強は 賽英が広才を釈放したことを知り、悪僕に命じ、含嬌とともに広才を追跡する。広才 は江辺に逃げる。賽英と紫絹もこれを聞き、あとを追って江辺に至る。俊強は刀を手 に広才を追い、殺そうとして誤って含嬌を殺す。俊強はそれでも手をおかず、賽英と 主婢を追う。賽英はやむなく兄と戦い、気を失って倒れ、紫絹は殺される。俊強は悪 僕に命じて賽英・紫絹を江中に投げ込ませる。幸い船で通りかかった巡按の郭佳に救 われる。わけを聞いた郭佳は、人相見に変装し、趙家に行き、様子をさぐるが、見破 られて、殺される。賽英は郭佳が帰らないの見て、異変があったものと思い、男装し て李志英と改名し、都に行って両親に会う。この年、大比の年に当たっていたので、 科挙をうけたところ、武芸抜群で、武状元となる。このとき広才もまた上京して科挙 を受け、文状元を得る。陳・李はそろって皇帝に対し、安邦王の子、俊強の悪事を奏 上する。このとき、兵部侍郎呂桐進が賊軍の侵犯を上奏する。昭宗は直ちに李志英を 平冦兵馬大元帥に、陳広才を江南巡按に任ずる。趙少卿はわが子の不行跡を知り、急 ぎ夫人とともに帰宅して、身支度を整え、新任の巡按陳広才とともに、郭佳巡按の失 踪事件を究明する。広才は兵馬を率いて、趙家を捜索し、前任の郭巡按の金印を探し 出す。趙家を仮法廷として事件を究明する。俊強は強弁して罪を認めないが、素月が 李志英とともに趙家に駆けつけ、俊強の悪事を証言したため、俊強も遂に服する。安 邦王趙少卿は法によって厳罰に処する事を決定し、犯人一味は処刑される。「大義親を 滅する」趙賽英は萬民の尊敬を受けて、一件落着となる。
(1967年、シンガポール南華儒劇社初演、柳含嬌を柳嬌媚とする場合もある。)

 唐末昭宗時代,安邦王趙少卿與定國夫人馮仙珠同保邦國。居留京都。兒女居於江南三吳之地。其子俊強依仗父勢,無惡不作。女兒賽英端莊賢淑。時有民女林素月,因父身亡,叔嬸將她賣身趙府為婢。俊強見他貌美,千方百計相誘。一日俊強外出遊賞,邂 逅柳含嬌。奈含嬌早已許配陳廣才,含嬌貪慕虛榮,約俊強在中秋佳節前來她家迎娶。適陳廣才亦到柳府迎親。含嬌觀他家貧如洗,反悔前約。廣才含恨滿胸,俊強命惡僕將他拿回府中,囚禁石牢。俊強與素月,暗渡陳倉,身懷六甲。俊強反目無情,將素月逐出府門。賽英聞知此事,前往相勸無效。賽英偕婢紫娟同到後花園解悶。忽聞嘆惜之聲。前往詢問詳情。方悉其人為陳廣才,即動惻隱之心,將廣才釋放。俊強聞知賽英釋放廣才,即命惡僕偕含嬌追趕。賽英主婢聞知也隨後趕至江邊,相勸兄長懸崖勒馬。俊強持刀追殺廣才。而錯殺含嬌,尚不肯罷休,再而追殺賽英主婢,賽英迫不得已,與兄相鬥而被打昏。紫娟被殺。俊強命惡僕將賽英主婢拋下江中。幸遇郭佳巡按相救,訴明委曲。郭巡按聞悉之下,喬裝相士,至趙府暗訪。不幸行藏泄露,慘遭毒手。賽英久待郭巡按未歸,心知有異,故改名李志英,女扮男裝,到京城拜謁雙親。適逢大比之年,投身赴試,志英武藝出眾,被中選武狀元,適逢陳廣才也到京求功名。才學過人,鰲頭獨占。陳、李雙朝駕當殿奏明聖上。奏說安邦王之子趙俊強,依仗父勢,為非作歹。時兵部侍郎呂桐進奏賊寇進犯,昭宗聞奏,當殿欽命李志英為平寇兵馬大元帥,陳廣才為江南巡按。少卿聞悉其子不軌行為,當殿請旨偕夫人回府,協同新任巡按陳廣才,查察郭佳巡按失踪一事。廣才帶同兵馬,至趙府搜查,搜出前任郭巡按金印一個,並商借趙王府,為公堂之用,審明此案。而俊強巧言善辯,死不認罪。幸有素月與志英到趙府指證。俊強才俯首。安邦王趙少卿決定依法嚴辦。一干人犯,難逃法網。趙賽英大義滅親。深獲 萬民欽佩。