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海陸豊劇:正字戯「宛城の戦」
(『三国演義』第16回)
香港牛頭角、1980年8月、田仲一成撮影


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曹操は、徐州の呂布を討つため、東に軍を進めていた。そのとき関中の将、張済は軍を率いて西から南陽に押し寄せ、流れ矢にあたって死んだが、その甥の張繍がそのあとを継ぎ、宛城に駐屯して許都をうかがう勢いを示していた。曹操は張を討とうとしたが、その隙に呂布に許都を襲われる危険があり、急遽、呂と和睦し、大軍を率いて、宛城に向かった。形成不利と見た張繍は、降伏し、軍勢は城外に陣を敷いた。曹操は、死んだ張済の未亡人鄒氏が美人であるいう噂を聞き、兵を送って鄒氏を呼び寄せ、鄒氏も曹操になびく。これを知った張繍は怒って、復讐を決意するが、曹操の護衛、典韋の剛勇を恐れ、まず典韋を酔いつぶさせ、さらに大力の胡車に典韋の愛用する双戟を盗みださせておいてから、夜、曹操の陣営に奇襲をかける。不意を打たれた曹操は大敗し、武器を失った典韋は奮戦むなしく戦死する。張繍は、たちどころに伯母の鄒氏を刺し殺す。



曹操征宛城,張繡出戰,不敵而降。曹操聽到張繡嬸母鄒氏之美,遣兵據占張嬸母鄒氏。張繡知而大怒,但懼曹操護衛典韋之勇,用賈詡之計,先遣大力的胡車盜去典韋之雙戟,然後夜襲曹營。典韋雖然奮鬥,但丟失雙戟,掙扎奮戰之後,遂于戰死,曹操大敗逃走,張繡立刺死鄒氏。