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潮州劇(潮劇)

雙錯認

1979年農曆七月廿二日、 香港新界沙田潮僑中元祭祀にて上演、 田仲一成撮影


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 漢の平帝の時、名臣高連山は老齢で引退し、故郷に隠棲していた。娘、桂英は未婚、 並外れた美貌の上、文武両道に優れていたため、求婚者は引きもきらず、相手を決め かねて、武術を競って己に勝ったものを選ぶということにした(ⅥB-11)。梁無才 なる好色の男がおり、父の権勢を恃んで挑戦したが、文武ともにつたなく、桂英の敵 ではなかった。名門の子弟、侯慶雲は文武に秀でた人物で、梁無才が敗退したあと、 才芸によって桂英の心をつかみ、結婚を約束する(ⅥB-12)。慶雲は帯びていた玉 佩を婚約の印に桂英に贈る。梁無才は恥じが昂じて怒りとなり、父の梁志忠とたくら んで侯慶雲一家を罪に陥れる。慶雲と弟、慶竜、妹、月英の三人は幸いに脱出できた が、父母はともに捕らえられる。梁無才はこの機に乗じて両親に迫り桂英を娶ろうと 図る。桂英と侍女の伴月は男装して桃花寨に拠る義理の伯父張顕に身を寄せる。慶雲 兄弟は脱出した後、ゆきはぐれとなり、慶竜と月英は、桃花寨主の子桂平に捕らえら れるが、その身の上が張顕の同情を誘い、しばらく桃花寨に留められる。寨主の娘、 張桂英は慶竜の才能を慕い、花園で慶竜とあい将来を誓う。桂英は明珠を贈り、慶竜 は玉佩を贈って誓いの印とする。この時、高桂英もまた山中にあって散策中、たまた ま慶竜と出会い、夫の慶雲と見誤る。慶雲と慶竜は双子の兄弟で、容貌がよく似てお り、ただ慶雲の文武両道に対し、慶竜は文一筋という違いがあるだけであった。高桂 英が「夫郎」と呼ぶと、慶竜は意識が混乱し、誤解が次々に重なる。たまたま慶雲は 父を救出しようとして、桃花寨を過ぎ、張桂英と出会う。張桂英も慶雲を夫の慶竜と 見誤り、争いを引き起こし、慶雲は相手の計略にはまって拘束される。この時、高桂 英は慶竜と口論し、夫に裏切られた、と誤解して、ひそかに山を下り、武試をうけに 都に赴く。慶雲はとらわれて山に上ったあと、妹にめぐり合い、月英は慶雲と慶竜が 名門の双子兄弟であることを明かす。これによりこれまでの種々の誤解は氷解する。 慶雲は妻高桂英とめぐり会えなかったことを口惜しく思いながら、父を救いたい一心 から、遂に桃花寨の英雄とともに刑場になだれ込んで父を救う。梁無才父子は逃げて 隠れる。高桂英は伴月とともに桃花寨を離れ、白雲山下を行く道すがら、表弟王進に 会い、ともに山に上ろうとする。そこへ梁無才が書信と宝物を携えて都に上ろうとし て現れる。彼は奸相と共謀して漢室の簒奪を企んでいたのである。高桂英は、狭い道 で仇敵に会い、たちまち正体を見破り、無才を一刀のもとに切り捨て、宝物と謀叛の 秘密を記す書信を手にいれる。このとき、朝廷は科挙を開き天下の士を採用すること になり、侯慶竜は殿試において文状元を、高桂英は武状元を得た。権相廬叔通はかね てから簒奪の下心があり、このために科挙により英才を配下に集めようとしたのであ る。このとき梁志忠は廬叔通とともに白雲山の賊徒を平定しようと朝廷に奏請し、こ れを受けて漢帝は高桂英に征討を命じた。高桂英は奏上して慶竜に先鋒を勤めさせた。 実は慶竜を挫折させようとしたのである。白雲山下での一戦で、慶竜は王進に捕らえ られ、救出不能におちいった。桃花寨の張顕は侯慶竜が白雲山に捕らえられているこ とを知り、張桂英とともに白雲山に至り、誤解の経緯を説明し、従来の行き違いはす べて氷解した。さらに梁志忠の謀叛を証明する証拠が朝廷に提出された。征討軍は帰 京し、奸臣は除かれた。高桂英が女であることも判明し、喜んだ漢帝、その場で慶雲・ 慶竜兄弟と高桂英・張桂英を結婚させた(ⅥB-13・14)。全劇はこれにより終結となる。