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夫人城

1982年4月19日, 坪Che 天后誕祭祀、昇芸潮劇団、陳碧玲主演。

撮影 田仲一成



 晋泰元3年(378)春、秦王符堅、子符丕を遣わして南を侵し、中原に進攻、襄陽を衝いた。 襄陽を守っていた梁州刺史朱序は秦兵の暴行に憤慨し、符丕の降伏勧告を拒絶。 母親韓氏の建議に従い、城池を固めて、堅守し抵抗した。 ただ、兵力の多寡に懸隔があり、連続して大将が戦死した。 序は陣頭指揮して敵と戦おうとし、陣営の守将に人がいないため、母韓氏に兵権をゆだねる。 韓氏は奇襲によって符丕を敗る。 序は勝ちに乗じて敵陣を襲うが敵と内通する李伯護に裏切られて、敵に捕らえられる。 李伯護はまた西北の城壁が弱いという情報を秦兵に伝える。 符丕は兵を率いて猛攻、韓氏は自ら将兵を督戦して防衛するとともに、全城の婦女を集めて内側にも城壁を築かせ、遂に秦兵を防ぎおおせた。 城攻めに失敗した符丕は、朱序を城の前に引き出し、韓氏に降伏を迫った。 韓氏は悲痛の極に追いつめられるが、愛国の大義を嫁の楊氏と孫娘巧児に説き、城を子の命に代えることを拒否。 符丕は面罵されて逆上し、遂に朱序を殺し、城側の出撃を挑発した。 韓氏は兵を按じて動かず、孫娘巧児を都に派遣して救援を請う一方、内通者の李伯護を誅し、大いに秦兵を破って、襄陽を守り通した。 人民は韓氏の義勇と全城の婦女の築城防衛に感激し、その名を「夫人城」と名づけて記念とした。 城内の婦女は、城外に朱序を傷む。

 晉泰元三年春,秦王符堅遣子符丕為侵南主帥,進攻中原,直搗襄陽,守襄陽的梁州刺史朱序,拒絕符丕招降,聽母親韓氏建議,修固城池,堅守抵抗,但是由于兵力眾寡懸殊,連折大將數名。 序欲親臨敵陣,恐營中無人主帥,遂推其母韓氏掌握兵符,發奇兵擊敗符丕。 朱序乘勝帶兵劫營,卻被內奸李伯護出賣,因而被擒。 李伯護又將西北城牆新修未固情況,向秦兵告密。 符丕率兵猛攻。 韓氏親督將士防衛。 一面集合全城婦女,築扶牆于城內,終於擋住秦兵。 符丕攻城不下,將朱序綁在城前,脅韓氏等出降。 韓氏雖然心痛朱序之垂危,終於愛國大義,說服了媳婦楊氏和孫女巧兒,決不以城易子。 符丕老羞成怒,終於殺死朱序,激其出戰。 韓氏仍按兵不動。 並遣孫女巧兒上請救兵。 剪滅內奸,大破秦兵。 保住了襄陽城。 百姓感激韓氏義勇和全城婦女築城禦敵的英雄事蹟,名其城為“夫人城”。 以為紀念。



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