データベース → 中国祭祀演劇関係動画トップ → 

潼關戰

1990年農歴七月十六日(8月17日)、貴州省安順市詹家屯,田仲一成撮影



↑クリックしてスタート
(別ウインドウ)



↑クリックしてスタート
(別ウインドウ)



↑クリックしてスタート
(別ウインドウ)



↑クリックしてスタート
(別ウインドウ)

 馬騰は、西涼の鎮守となっていたが、曹操は、詔を矯げて馬騰を許都におびき出し、殺そうと企んでいた。馬騰もまた隙に乗じて曹操を除こうとし、兵を率いて許都に入り、黄奎と図って機をうかがっていた。 しかし、馬騰の計画は、曹操側に漏れ、曹操は、夏侯淵と許褚に場外で待ち伏せさせ、馬騰をおびき出し、これを殺す。 馬騰の子、馬超は、父の死を聞いて怒り、西涼の兵馬を動員し、曹操を伐って父の仇を報じようとし、長安を破り、潼關に殺到する。潼關では、徐晃、曹洪が防ぐが、いずれも馬超の鋭鋒に敗退し、曹操軍は、総崩れとなる。 馬超は、曹操を追い求める。曹操は、逃げ回り、最後は追い詰められ、鎧を脱ぎ、髯を切って、相手の目をくらまし、逃げおおせる。馬超は、勇名をとどろかせ、父の仇の一端を報じる。

 馬騰鎮守西涼,曹操欲殺他,矯詔以命馬騰進入許都。馬騰亦欲乘機以殺曹操,率兵進入許都,與黃奎同謀,窺視機會。但馬騰的計謀泄漏,為曹操所知。 曹操令夏侯淵與許褚埋伏於城外,引誘馬騰而殺之。馬騰的兒子,聞之大怒,企圖報仇,率領西涼兵馬,打破長安,殺到潼關。守關主將徐晃、曹洪支撐不住馬超銳鋒,曹軍崩潰。 馬超追求曹操。曹曹逃跑,危機迫近,脫下盔甲,剃掉鬍鬚,讓馬超目眩,遂於逃脫。馬超武名一舉,替父報仇一端。