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台湾台南市将軍郷長沙村邱氏功徳祭祀


田仲一成 撮影



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 1991年3月、台湾台南市将軍郷長沙村の邱氏が死亡し、その葬儀が行われた。台南の正一派道士、陳栄盛氏が儀礼を担当した。野外に三清殿を架設し、その対面、約50メートルの位置に霊棺を安置する霊堂を配置し、道士及び、これに従う遺族は、この三清殿と霊堂の間を往復して、儀礼を執行した。三清殿の正面と側面を示す。

内部の三清殿は次のとおりである
又、殿内の両側に十王殿の軸を掛ける。
第1殿秦広王の図は、次のごとし。
第8殿平政王の図は、次のごとし。

 霊堂の遠景は、次の通り。ここは、元来、亡魂の生前の居宅であり、棺を安置してある。三清殿はこの霊堂と真向いの位置に設置してあり、両者の間は燓50メートル離れている。
遺族と道士は、この距離を往復して、儀礼を執行することになる。

 科儀は次の順序で行われた。

台南県将軍郷長沙村邱府功徳儀礼秩序略表(陳栄盛師;1日半の法事)
時刻科儀備考
第1日
午後
12:00揚旛未見
14:00開通冥路
15:00発奏
19:00度人経上巻
20:00同中巻
21:00同下巻
第2日
午前
9:00三元宝懺
11:00午 供
午後
13:00普 度本来、最後に行うべきものを参会者の都合を考えて繰り上げた
16:00放 赦台上、赦書宣読。
17:00跳 舞最後に分灯の遶場。
19:00打 城簡略な形式、問答はなく、錫杖でなく、剣で破る。暗闇の演技で撮影不能、陳栄盛師の別の資料で補足する
20:00哭 女紅頭法師1名、楽師1名、哭女3名、舞踏、哭泣の演技
21:00填 庫参朝給牒
22:00火化紮作紙像、冥器、金紙、焚焼。
23:00謝壇安位

以下、主要な科儀を検討する。

Ⅰ.第1日 午後

【揚旛】
 未見。霊堂の右手の所にある空き地に立てる。この功徳では「普度」をおこなうので、揚旛をおこない、孤魂の知らせる必要があった。旛を立てるときは、爆竹と銅鑼、太鼓、吹を鳴らし、遺族が竿に旛を掲げる。

【開通冥路】
 道士1名、三清壇の前に立ち、遺族、従う。道友と交互にを唱いかわし、魂身の上に燃したをかざして開光する。ここで道士は、壇に立てかけてあった道旛を持って、歌う。
 道士は手にした道旛を玉清、上清、太清の方向に向け、お辞儀をさせるるように斜めに3度、下げる。自らも頭を下げる。遺族も頭を下げる。
 次に金古紙を燃やし、燃えがらを面盆の中に落とす。亡者が光を見て地獄から天界へ、関所を通って行くことを示す歌唱を続けながら、後ろを向き、魂身に向けて道旛にお辞儀をさせ、壇に立てかけて置く。そこで「開通冥路牒文」を宣読する。この間に魂身に拝をさせる。
 霊堂に行き、魂身は棺の横に安置する。ここで、開通冥路疏文を読む。最後に救苦天尊の名を唱え、霊堂で銀紙を燓く。道士は回壇して金紙を焚く。

【発奏】
 道士5人、三界壇に向かって亡者救済の儀礼に来臨するように要請する。 
 遺族、道士の後ろに従う。高功道士は、浄天地神呪を唱え、噀水して壇内を清める。香を供え、官将を呼び出す。次いで天界へ行く使者のために関文を発する。
 次いで、副講が下界へ行く使者、四直のために関文を発する。ここで、全員、霊堂前に赴き、高功が霊棺に向かって意文を読む。


II.第2日 午前

【度人経】
 道士1人、度人経上中下3巻を読む。中巻の七字偈、最後に救苦天尊にあてた度人の符を焼いて天界に送る。

【午供】
 道士5人。まず三清殿に向かい、高功は、十八帝の名を読む。終わって、九種の供物をささげる。一香、二花、三灯、四菓、五茶、六酒、七食、八水、九宝の順。壇上に備えてあるのを、道士から遺族に一人づつ、手渡し、拝礼したのち、また壇上にもどす。
 道士が」一品づつ手に取って跳舞したあと、断膳にささげる。灯の献供。終わると、霊堂に行く。霊堂では、亡魂に供物を献上する。功は、飯を浄水清め、飯の上に箸で「萬品一祭」と書いて、無限食に変化させ、飯を  でつまんで少し投げる。これで、亡魂は、永久に飯を食べることができるようになる。 道士5人は、花を持って歌いながら舞う。回壇して、三清殿を拝して終わる。

 【普度】
 普度は、孤魂に衣食を施す儀礼である。功徳の中でこれを行うのは、故人にささげた供物を付近を徘徊する孤魂野鬼に奪われないため、かれらにも衣食を施しておく必要があるからである。普度は、本来、功徳の本体ではなく、功徳が終わってから夜間に行うべきであるが、台湾では、弔問客を接待する都合上、日中、功徳の途中で挙行されることが多い。故人が十分に救済されていないのに、普度を行うことは、これまで遺族が行ってきた斎食を中断して、肉食の宴会で来客を接待する結果になり、儀礼としての筋は通らない。世俗に迎合した台湾社会独自の慣習と言える。なお、普度を行わない場合もある。以下、これについて、述べる。

 霊堂の前にテントを張り、故人の霊位をまつる祭壇を設置する。その前に横向きに儀卓を置く。儀卓前を普度棚とし、おびただしい食物を山積みに並べる。
道士5人、儀卓の周囲を囲んで坐し、施食科の経文を読む。高功のみ盛装、他は黒袍。道士は、手訣を行うが、五鳳冠をかぶらず、簡略な方式での普度である。孤魂の要点のみを歌う。
 遺族は、道士の後ろに従うが、孤魂は親族でないから、孝服を脱ぎ、黒の服を着るにとどまる。しかし礼儀正しく、整列して起立を続けるのは、孤魂を恐れるからである。故人の祭壇の周囲には「蓬島帰真」、「駕返道山」など、生前の故人の徳を称える字句が張られる。弔問客が集まり、精進落としが行われる。葬儀がここで頂点に達したような印象を受けるが、功徳は終了しておらず、以下に続く。

【放赦】
 亡魂が生前に犯した罪を、天帝に赦してもらうように請願する儀礼である。
 道壇の外で行う。道士5人、全員盛装。一方の卓上に魂身を置く。道旛を立てかける。
 一方、離れた場所に台を置き、その上に儀卓を載せて、高い台を作る。卓上には、香炉酒、茶、三牲、糕、饅頭を供え、下に功曹馬用の秣を置く。高功道士は、絳衣を着て払子を持つ。他の道士は道袍。台上の儀卓を囲んで起立する。高功は、儀礼の趣意を述べる。

 このあと、高功は、破地獄の真符を読む。次に五雷牌を持って噀水し、呪言を唱える。
ここで、一同、台を降りる。高功は、笏に赦書と関を載せ、払子を振りながら、円環巡行する。そこへ都講が赦官の替身をもって、同様に円環巡行する。次いで二人は向かい合って入れ替わりながら歩行、相互に拝礼する。 次いで、高功は、再度、台に上り、魂身の方に向かって赦書を読む。

 この長大な文章を、白と唱を交互に読み、また北管音楽と南管音楽を入れて、派手な読み方をする。一種の演劇的な演技と言ってよい。
魂身は外に向けて配置する。このあと、道士3人が平服で出て、赦書を功曹使者が馬に乗って天界に届ける所作を行う。まず、台と遺族の坐る間の場所をゆっくり廻る。次第に速度を上げる。所作を加える。2人は」対舞を演じる。それぞれ、功曹使者と赦書を持つ。
 道士3人に高功を含む2人も跳舞に参加し、灯火を分けて走る。これは分灯科の所作であり、放赦科のあと、分灯を演じていることになる。終わると、赦書、関、赦官、功曹馬を燓く。道士、遺族ともに霊堂に行く。霊堂前で、道士の歌唱がある。終わって回壇。再度、歌唱。終了。

【哭女】
 霊堂の前で、紅頭法師1名、哭女3名が、「哭泣」の礼を行う。  最初に哭女3人が挽歌を歌いながら舞う。終わると哭女2名が、地上に坐り、身を伏せて哭泣する。

【打城】
 高功1名、三清壇に向かって立つ。道士は旛を振りながら、地獄をかたどった城に向かって、呪文を唱える。最後に剣で城門を突き破り、中の亡魂を救い出す。

【参朝給牒】
 亡魂が生存中に天界の銭庫から借りた借財を、遺族が負担して亡魂に持たせる儀礼である。現金は天上の金庫に送らせ、亡魂には送り状(牒)のみを持たせて、納入した証拠とする。 道士1名、三清壇の前で、遺族、魂身に向かって牒文を読む。牒文には道士が拇印を押して亡魂(魂身)にわたす。道士が庫銭を寄贈した遺族の名と金額を読むときは、該当者は「はい」と答える。
 読んだ牒文を魂身の背に負わせる。同時に買地券も持たせる。天上の屋敷の買い入れ証書である。

【謝壇】
 功徳が終わり、亡魂の三魂七魄が天に上ったので、遺族は喪服を脱ぎ、魂身を送る。
 一人一人、魂身を抱いて三清壇の前に整列し、道士が呪文を唱え、燓化に付する。
 道壇の三清殿の前で拝礼し、功徳の終わったことを述べ、呪文を唱える。

【焚化紮作】
 夜、10時、三清壇の隣の空き地に、亡魂に送る冥屋、紙銭などをうず高く積み上げ、点火して燓く。遺族はこの火を囲み、送る。孤魂に紙銭を奪われないように、手をつないで円形をつくる。焚き終わって、終了。